レギュレーション

F1のディフューザー問題も一応決着は付いた模様。
開幕戦からの2、3戦は毎年揉めますね。

極めつけが集まった、上位陣に差がない戦い、
実力が拮抗していればしているほど
勝敗を決めるのはレギュレーションの解釈だと思います。

まず、レギュレーションをどこまで完璧に理解しているか。
その上でどこまで詰めれるか。
さらにそこからどうギリギリのラインまで攻めこむ事ができるか。
これが勝敗を分けているのだと思います。

ギリギリ攻め込んだその先は?
そこからはもう人の力だと思うのです。

その力も拮抗していたとしたら。
勝敗を決するのはあとはもう「想い」の強さだけかもしれません。

「想い」と「想い」のぶつかり合い。
わかりやすくて感動的。
トップの中のトップという世界というのはそのようなものだと考えます。

それにしても全てを完璧に理解して競技に臨んでいる人って
どれくらいいるのでしょうかね。

レギュレーションの解釈、「枠」の確認 それは何はなくとも

それに沿った的確なオペレーション

他を出し抜く大胆な攻め(レギュレーション内で)

真似する事の出来ない個人の魅力

誰にも負けない強い思い

これらの過程を無視、すっとばして
「技術」や「想い」で勝てるほど世界は甘くないはず。

にも関わらず大半の人は技術と想いが先に来て、
あとは運があれば(笑)なんとかなると思っています。

ようするに技術のすごさ、その差が良く分からないからでしょう。
見えているのは「想い」や「気迫」のみ。

上の矢印を逆向きでしか追えない悲しさ、我々凡百の素人の限界がそこにあります。
限られたものだけが立てる、あの華やかな舞台に立つことなんて夢のまた夢。

もし想いや気合ひとつで勝てるような競技であれば。
それはまだ過渡期も過渡期で、競技として成熟しきれてないのでしょう。

「なぜ想いが通じないのか」
「なぜ私の技術が通じないのか」
「なぜ」
「なぜ」
「なぜ」
そう思っているうちは世界はおろか日本でも、
地方でも勝てないだろうと思います。

これは何もF1に限った事ではなく、
あの世界にも当てはまったりして、などと思ってたおり、
最近いろんな所で同じような話を聞いてやはりそうなんだと確認できた次第です。

そして今日もまた。
うーん、その事に気が付いてる時点でトップに立つ可能性の扉は
大きく開いていると僕は思いますよ。
少なくても人の50歩前は先行っているのではないでしょうか。
チャンスがあるなら攻めるべきです。

日本が世界を見ている限り、レギュレーションだって世界から「輸入」されてきます。
誰よりも早く、それを確認しておかねば勝つことは出来ないとわかって動く人達がいます。
それはもちろん勝ちたいという想いの強さの表れでもあるのでしょうが
その「一流」の人達からすれば、そんなのただスタート地点に立つための
最低限の準備でしかないのかもしれません。
想いなんてその先の先の先の先の先の先の・・・
常人にはうかがい知ることのできない領域での話で。
そう思うと私なんぞは滅多なことは言えず、
その事にまた、ひどく遠回りな、身も震えるほどの感動を覚えたりもするのです。

・・・とまあ一体何について、
誰に向かって話しているか分からなくなってきていますが;
独り言ですのでどうぞ捨て置いてくださいませ

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