カカオとコーヒー

お久しぶりです。
時間的にも気持ち的にも余裕が無く、中々インターネットに繋げない日々が続きます。
ツイッターは、たまに携帯で投げっぱなし的につぶやいています。
ほとんど確認もできていませんので返信等遅れる事も多々あります。ごめんなさい。

さて明日(今日?)はバレンタインデーですね。

先週の新聞にチョコレートの特集が載っていました。
コーヒー豆もカカオ豆も気温の変化の少ない赤道付近、北緯25度~南緯25度(カカオはもう少し狭いのかな?)、
高度の違いはあれ、かなり近い国や地域で栽培されています。
果実から取り出した種を発酵、乾燥処理し、焙煎、粉砕して使用する等共通する点も多くあります。
そして、記事を読む限り、生産農家が抱える問題(貧困や教育等)やそれに対する対策も、全く同じ様子。
読んでいてこれはコーヒーの記事なのではないかと何度も思いました。
記事はシングルオリジン(単一農園もの)の話や華やかな一流のショコラティエの話で〆られます。
そこでまた、これはコーヒーの記事ではないかと思ってしまうのです。

こういった生産国の様々な問題を考えると胸が締め付けられます。
もちろんコーヒーやカカオに限らず、ゴムでも砂糖でも、
いや、海外から輸入する物ほとんど全て似たような問題を抱えているのでしょう。
ただ私は現在コーヒーに食べさせてもらっていて、普段接する機会も多いため
日常的にはやはりコーヒーを取り巻く環境が気になります。

考えだすと止まらず、朝まで悩んでしまう事もしばしば。結局の所どうすれば良いのか・・・。
己の力の無さを嘆くばかりでしたが、最近ひとつ答えが出ました。

それは

『ただ直向に目の前にある自分の仕事をきちんとする』

というもの。これは諦観ではありません。
全てを変えられる可能性がそこにしか無いと気付きました。

うまく伝えられそうにありませんが、ざっくりと。

価格も含めた今のコーヒーの価値は今までの長い歴史や構造の中で決められたものです。
今のままの価値でコーヒーが飲まれ続ける以上、世界が大きく変わる事はおそらく無いでしょう。
誰かが得すれば誰かが泣きます。’win-win’なんてのは、たぶん何かの勘違いです。
どこかの誰かに痛みを押し付ける事無く、全体としてゆるゆると続いていけるようにするには
最終的には飲み物としての珈琲の価値を今より上げていくしか方法はない気がします。

今コーヒーは一杯数百円というのがだいたいの相場ですが、
それが例えば一杯1000円くらいの価値がある飲み物になったら?・・今よりちょっとは良くなるでしょう。
一杯2000円になったら?・・大きく世界が変わるかもしれません!
実際の所は一杯数百円のままでもかまいません。
ただ、1000円、2000円払う価値があるものが300円くらいで売られていたら・・もうそれしか飲むもの無いでしょう!

む、興奮してきました。
それではその「価値」を誰が、どうやって上げていくか。
現在生産や流通の仕組みを変え、コーヒー生豆そのものの品質を上げていく取り組みが各地で行われています。
一部地域にはすでに良い効果も出てる様子で、そういった活動はぜひ継続していってもらいたいものですが、
それだけで全てを変えるには無理があるようです。

近年、段々と同じ取り組みが「出来る地域」と「出来ない地域」が見えてきています。
高品質なコーヒーは作られる「土地」も選びます。
同じ国や地域で勝ち組と負け組が生まれつつあります。
特別に選別された単一農園産の素晴らしい品質の珈琲を飲むたびに私はいつも
その近くの農園や、そこから数百m下った農園の珈琲がどうなっているのかが気になってしまいます。

高品質コーヒーが採れるような新たな土地の開発も進んでいますが、どうでしょう。
コーヒーが農作物である以上病害虫の被害や気候の変動などの影響も避けられません。
「生豆品質の向上」にもいつかは必ず限界が来ます。

その「限界」を超えてさらにコーヒーの価値を上げることができるのは結局の所私たち最終提供者しかいません。
方法は焙煎、抽出、サービス等々。場合によってはそれが「ストーリー」でもかまわない気がします。
品質至上主義の私たち作り手も「ブルマン神話」に学ぶ所は多くあると思います。
「腐すより学べ」・・・座右の銘です。

兎にも角にも、手元に届いたコーヒー豆、それがどんな物であろうと、最低限その価値を減衰させる事無く、
可能な限りより高い価値を付け、他のどんな飲料にも負けない素晴らしい嗜好品としてお客様に提供していく。
そのために必要な、選別や焙煎、抽出、鮮度管理、そしてお客様への説明。
古くて地味だけど、どれも外せない大切な仕事だと気付きました。

それら一つ一つの仕事の質を極限まで高めていこうと思います。
小さなコーヒー屋のいち焙煎人に出来る事はそれしかありません。
それで世界が変えられるかと言ったら、・・・うーん・・・わかりませんが、可能性はそこにしかないと思うので。
そもそも、もっともっと価値を高めないと我々コーヒー屋が真っ先にアンサスティナブルです

素材以上の「味」を生み出す事はできませんが、素材以上の「価値」は生み出せると思います。
それをするのが、それが出来るのがプロでしょう。
ゼロから生み出した価値に対してお金を頂戴する。
「手間賃」だけで食べていける時代でもありませんしね。

簡単な事ではないけれど、それが出来れば低地産の珈琲も、ロブスタ農家だって救えます。
当たり前ですが、どちらも「人」が作っているのです。
そこは忘れないように気をつけたいと思います。 

以前パナマの農学者の方にいただいた
 「あなたもコーヒーの世界のピースのひとつです」
と言う言葉が強く心に残っています。
この広く、素晴らしい珈琲の世界の一部であるという事に誇りと責任を持って仕事に取り組んでいきたいと思います。

と、酔いに任せて盛大につぶやいて見たところ、チョコレートとあまり関係ない話になってしまいました。
ろれつの怪しい、取り止めない乱文申し訳ありません。

コーヒー屋は普段はこんなんです。
コンビニに並ぶインスタントコーヒーの瓶を見ても本当に色んな事を考えてしまいます。
チョコレート屋さんもチロルチョコを見ながら、食べながら悶々としてしまうのでしょうかね。
一度聞いてみたいものです。

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コメント

  1. さな より:

    缶入り粉コーヒー
    店長サマほど深いことは考えてない私だけども、びっくりするくらいおいしくないコーヒーを飲んだ時には「コーヒー豆を一生懸命作ったコーヒー農家の方々に失礼だ!」と思います。

    先日、頂き物の缶入りのコーヒー(粉)が大量にあったのだけども、淹れる度に悲しくなるという切ないシロモノでした(T_T)
    「折角のコーヒー豆をこんなことにして」と嘆いていたら、母から「もしかするとこれが平均的なものなのかもよ」「日頃のおいしいものは豆香洞さんの努力の賜物。感謝しなくちゃ。」とたしなめられました。

  2. フクマメ店長 より:

    ありがとうございます
    ありがとうございます。それが普通なのかもしれませんね。コーヒーは種を植えてから飲み物として口に入るまでに本当に多くの工程があり、様々な人が関わります。その過程の全てで品質を上げる努力がなされています。一つ一つ見ていくと、かなり頑張ってもちょっと美味しくなる、くらいなのですのが、その積み重ねで高品質なコーヒーは作られています。どこまでできるか分りませんが、私も品質を上げる(下げない)よう最大限の努力を続けていきたいと思います。その原動力はちょっとの美味しさの違いに価値を見出してくれるお客様の「おいしい」一言であったりします。いつもご利用いただきありがとうございます。

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